浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

負けは勝ち続けた人間にしか存在しない

◆先週は帰省していた。帰りの電車の中でギガを消費しながら、オリックスとロッテのデーゲームを観ていた。佐々木朗希が淡々と三振を積み上げていた。それを自分はただ呆然としながら観ていた。地震や台風のニュースを見聞きしたときの感情に似ている。今まで築き上げられたものが一瞬で壊されることに対する畏怖。負けることを許されるのは勝ち続けた人間だけだ。自分を含め、多くの人間は負ける前に勝負を降りてしまう。それは自分で諦めたり、他人に諦めさせられたり、色々パターンはあるけれども、己を賭けたはずの勝負も気づけばノーコンテストになってしまっている。グラウンドに立つ人間はそうではない。勝ち続けた人間のみがそこに立っている。

親は老い、仕事は終わらず、ぐちゃぐちゃのワンルームの家賃が律儀に引き落とされ、ガスはプロパンなので余計に引き落とされ、独り言は増え、髪の毛が床に散乱し、桜はいつの間にか散ってしまっている。それは敗北ではない。ただ胸が締め付けられるのみだ。敗北するにはまず戦わなければならない。俺は勝負をしていない。