浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

死ぬのが怖い

◆最近、死ぬのが怖い。生まれてからついぞ抱かなかった感情だから、どう処理すればよいのか途方に暮れる。物心ついてから種々に怯える人生を送ってきたけど、死は別に平気だった。というのも生が怖かったからだ。つらかろうが苦しかろうが、生きている限り我から逃れることはできない。意識が常につきまとってくることに言いようもない恐怖があった。ノンレム睡眠の数時間だけそこから逃れることができたから、眠るのが大好きだった。きっと死ぬのは眠るのと近いのだろう。そう考えると、死というのはむしろ救いだった。別に(ほんの一時期を除いて)死にたいわけではなかったけれど、そういう感覚が子どもの頃からあった。

◆翻って、今である。死が怖いのはそれなりに年をとったせいだろう。若さは時間を無限と錯覚させる。だからこそ、いつまでも続く(と感じていた)生に怯えていたのだ。今は全くそう思えない。この前正月だったのに一ヶ月経ってる時点でなんかおかしい。生は有限であり、終わりがある。しかも、終わりはすぐそこかもしれない。

潮騒」のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており

って短歌を思い出したりする。