浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

十四才

丸亀製麺ぶっかけうどんを食べた。口の中にネギの匂いがまだ残っている。また春が近づいてくる。少年の自分がまだ俺の中に消えずに残っていて、時に駄々をこねる。そいつはループする学生生活のなかで、友達と延々スマブラに興じている。あるいは3Pシュートの練習をしている。あるいはテスト勉強をしたり、本を読んだり、恋に落ちたりしている。しかし現実の時間は勢いよく回り、少年を軽く飛び越してしまい、あの頃の人々とはもうほとんど接点がない。心の中の少年はそれに納得していない。すべてがうつろうものだということに、全く納得していない。こういうときは大人の俺が宥め賺してあげるしかない。あらゆるものは変わっていく、自分がじっとしたところで周囲が変わってしまう、だからより良く生きるには自分を絶えず更新する必要がある。そんなことを言ってみるが、今日は聴く耳をもたない。少年には未来がない*1。あるのは過去と現在だけで、だから未来を見据えてこうすべき、ああすべきみたいな言葉は全く効果がない。まあだからといって別にどうということもない。今日は少年が強いというだけで、もう暫くすれば大人のほうが強くなってくるのだと思う。もっと経てば少年が居なくなるのかもしれない。

*1:実情はともかくとして、少年はあらゆる形の未来を見る。少年の思い描く未来は不定形だ。形の定まらない未来というのは、ないに等しい。年を重ね、可能性が剪定されるにしたがって、未来が輪郭を帯びてくるのだ。