浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

2016-01-01から1年間の記事一覧

コインランドリーについて

ごはんを食べるのは、自分のような人間にとって数少ない楽しみの一つではあるが、どうも気が進まない日もあって、それが今日という日であった。単に食欲が湧かないという日もあるが、今日はそういうのとも違う。言葉にするのが難しいが、ごはんを食べなきゃ…

留年について

留年について-カウンセリングルーム(京都大学) 京大カウンセリングルームの、留年についてのページがホッテントリになっていた。実は、前から個人的に何度となく読んで、そのたびに励まされている文章だ。その文章が評価されていることへの嬉しさよりも、…

選挙について

誰にでも、興味の持てない事柄がひとつやふたつあるものだ。自分の場合は多すぎて困るくらいなのだけれど、そのうちのひとつが政治だったりする。案の定というか、今まで選挙に行ったことがない。そもそも誰が出馬しているか、どの党がどんな政策を打ち出し…

音楽について

最近、音楽を聴くことに、今まで以上に面白みを感じるようになってきた。音楽という媒体には、「いま、この瞬間」に浸りきることができる、という強さがある。現在という瞬間には、音しか存在していない。自分すら消えてしまうような、そんな感覚。 もちろん…

1億人について

どこを見渡してみても、こいつには敵わないんじゃないか、と思ってしまうような人は居るものだ。自分よりずっとずっと情熱的な(or 面白い or 強烈な or 頭脳明晰な or コミュ力に長けた or 我慢強い etc..)人。そんな人を見て、どうしても気が滅入ってしまう…

スマホゲーについて

ゲームにハマりたい。が全然続かない。大した本数やってないし、基本的にすぐ飽きるし、自分はそもそもゲーム好きではないのだろう。ただ、人生でもそうないレベルの感動をゲームで何回か味わってしまったせいで、呪縛のようなものに取り憑かれてしまってい…

ぶら下げられた人参について

欲しいけれどなかなか手に入らないものというのは、手にした瞬間に色褪せてしまうことがある。この感覚を最初に自覚したのは中学生の頃だったように思う。1年待って、お年玉をはたいてニンテンドーDSを買ったが、いざ手に入れると、喜びでなく一抹の虚しさの…

42℃と幸福について

今日は昼からお風呂に浸かった。暖かい陽が窓から刺さり、加えて湯温がバッチシだったので、自然と「幸せだなあ」という声が漏れてしまった。けれど、「幸せだなあ」と言うには少し大げさ過ぎたような気がして、なんだか逆に萎えてしまった。多幸感を自覚し…

相合傘について

雨に降られながら、近所のスーパーまで夜ご飯を買いに行ってきた。不器用な人間が懸命に自炊したところで、スーパーの四割引の惣菜には勝てないのだ。道中、中年の夫婦が肩を寄せながら、相合傘で歩いているのを見たが、その振る舞いの自然さに感動してしま…

人生について

ろくに人生に向き合ってこなかった自分が、人生について、なんて大げさなことを考えようとするのは、言うことが無くなったミュージシャンが愛だの平和だのを持ち出すようなもので、つまり殆ど何も考えていないのと同じで、今日の献立はどうするか、洗濯物を…

先延ばしと無趣味について

「好きな食べものを先に食べる派? 後に食べる派?」という、割とどうでもいい質問がある。割りとどうでもいいので、この質問に回答することはしない*1。ただ、「好きなことは先に済ます派? 後にとっておく派?」と問われると、断然後者である。後回しにし…

紙の日記と電脳日記について

ここ数年、紙の日記をつけている。たまに忘れることもあるが、基本的には毎日、行末までびっしりと書いている。書く内容についても特に思い悩むことはない。頭に浮かぶ適当な思いつきをそのまま書きなぐる。書く、という作業そのものが楽しいのだ。 翻って、…

帰省、或いはアスペルガー症候群について

少し前から、地元へ帰省中である。ビール片手に、焼き鳥串をつまみながら談笑していると、「東大生の何割かが自閉症?かなんからしいが、お前の大学はどうなんだ?」と、父親がよく分からぬ質問を投げかけてくる。そういえば少し前に、はてブで下の記事を見…

カフェインについて

些細なものでもいいから、日常で感じた諸々を書き留めていこう、というのがこのブログを立ち上げたときの趣旨だった。はずなのだが、幸いなことに(自分基準では)結構多くの方がブログを見に来られてるので、なんとなく肩肘を張ったものになってしまう。そし…