浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

今日という日

◆今日は仕事始めであった。出前館のバイトは自分に合っているという話を以前したが、明日以降とんでもなく寒くなるようで、そこは少しつらいところである。寒いと人間余裕がなくなる。自分の手と足の冷たさにしか意識がいかなくなる。そんな話はどうでもよくて、今日は久しぶりに疚しさからの謝罪というものをした。仕事柄配送遅れてすみません、みたいなことを言うのは日常茶飯事ではあるが、そこには疚しさはほとんどない。だって遅れる理由ってだいたい配送元の調理が遅いせいだし、そうじゃなくともそもそも上が決める配達予定時刻がギリギリすぎるんだよな。信号次第でそりゃ遅れることだってある。まあ自分のせいで遅れることだってもちろんあるよ。稀に道に迷ったりとか。とはいえ道に迷うのはね、最近始めた人間だし仕方ない。昔は随分色々なことに対して申し訳なく思っていたが、申し訳なく生きていたところでパフォーマンスが上がるわけでもないことに気づいてしまった。自分もふてぶてしい人間になったものである。

そんなふてぶてしい人間が久々に疚しさのようなものを強烈に感じ、自ら謝りに行ったのだ。どういったことをやらかしたかは長くなる割に面白くもないので省くが、まあ自転車をどこに置くかに関しての外部の人間*1との揉めごとですよ。いまいち相手の主張に納得行かないうえ、こっちも急いでたんですげえ不遜な態度をとってしまったのだが、配達完了したあと冷静に考えると完璧にひどいことをしたなと。そこで謝りに行ったら許してくれて。こっちの言い分みたいなものもちゃんと聞いてくれて。その許されたときの、罪悪感が解放された快感というのがすげえなって。クソみたいなプライドの人間だから、自分が悪いと思ったときにも心からちゃんと謝ったことがあんまりなくて、許されたときの快感みたいなものもあまり味わったことがなかった。これは素晴らしいものだと思う。宗教において罪の告白が大きな役割を果たす意味がやっとわかった気がする。

チェンソーマンの9巻を読む。これは素晴らしい巻なのでは? 清々しいまでに暴力と性の塊である。これジャンプに載ってんの? マジで? エグいんだけど直接的な描写はそこまでないっちゃないからいいのかな。いやだめなのでは? 

◆最近仕事のせいか痔がひどい。当たり前のように下半身から血がボトボト落ちる様はなかなかにショッキングで、場所は違うけど女の人はこれが日常であるのはすごいなとよくわからないことを思う。さすがに病院に行くことにする。あとは痔なのにウォシュレットを頑なに使わないクソ習慣をやめないと。トイレットペーパー使わんとなんか汚れ落ちた感じしないのよね。共用トイレのウォシュレットとか、なんとなく不潔感あって嫌だし。

*1:放置自転車を注意したり、シール貼ったりする仕事の人。なんとも難儀な仕事だと思う