浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

テレビの買いかた

◆年末年始は数少ない旧知と色々話をしたのだが、政治とか金とか酒とかクルマとか、そういった話でそれなりに盛り上がれるようになってしまい、結局のところティーンエージャーのときには全く理解できない存在であるところのおっさん、そうおっさんになりつつあるのだと思う。自分の苦悩だったり趣向だったりといったものは、周りの環境によって決められるものに過ぎないのではないかと近頃考えている。自分が厭世的な性格なのは、そう生まれついたというよりは、厭世的な生活をしてたからだったのだろう。というか風呂なしトイレ共同の四畳半に住んでて昼夜逆転生活やってて、それでいて人生に対する希望に満ちていたら単にヤバいやつだ。今は結局おっさんに囲まれているからおっさんみたいな話題が楽しくなってきたのだろう。しょうもない。でも裏を返せばまともな人っぽいことをすればまともになれる公算があるというわけで。まずはまともになろう。その第一歩としてテレビを買うのだ。テレビを観てまともになれるかはわからない。だけど増田を見るよりはまともになれるという気がしないでもない。ただ昔の性格の名残か、狂人に憧れているのも事実ではある。まともがなんぼのもんか、というわけである。まともはつまらないと思う。でもつまらないより幸福なほうがいいよね。まともな人にはまともなりの地獄はあるんだけど、シンプルにまともじゃない人間は大変だよ。