浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

がらんどう

◆盆休み、実家に帰っていた。親戚が死んだり、祖父母がコロナにかかったり、父が痛風になったりしていた。やはり皆老いている。それは自分も例外ではなく。かまいたちの一方が痛風で有名らしく、みんなでかまいたちYoutube動画をテレビで観た。父はテレビでよくYoutubeを観るらしい。老いているが、若い。旧友と会う。競馬を観に行く。なにもわからないまま軽めに賭ける。三連単を当てたのでギリプラス三連単を当ててギリプラスなら、普通ならボロ負けだなと思った。夜は飲み食いする。いつもの半分くらいしか飲んでいないのにひどく酔ってしまって、なんかよくなかった。身体は素面に近いのに、精神が酔いモードだった。なんなら酒飲む前も忘れ物したりで、こう、なんというか、ふわふわしていた。最近の自分はなんだか自分でびっくりするくらい落ち着いていて、傘も忘れず持って帰れるし、朝は目覚まし鳴る前に目が覚めるし、周りが見えるようになっているのだけれど、盆は昔の自分に帰ったような気分だった。毎日忘れ物して、じっとしてると身体がムズムズして、朝起きれなくて、頭が空回りしているような、そんな自分に。寝る前にコンタクトを外そうとしたがはずれず、長い時間苦闘していた。全然外れないなと思ってふと鏡を見ると、視界がぼんやりしていることに気づいた。どっかのタイミングでいつの間にか外れていたのだ。そりゃ外れないわな。右眼は真っ赤になって、次の日まで尾を引いた。

◆旧友が世間話の中で、空っぽの人間にはなりたくない、みたいなことを言っていて、その言葉にガツンと来てしばらく自分の中でリフレインしていたのだけれど、こっちに帰ってきて仕事しているうちになんかどうでもよくなってきて、ああ、今まさに空っぽの人間になっている途中なのだなと思った。すっからかんになっちまえば自分がそうであることすらそのうち分かんなくなるんだろう。