浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

世界の果てで出前を頼む

◆友人が結婚するということで、GWは大都会へ結婚式に行ってきた。大都会はまったくもって大都会であって、あまりの人の多さに疲弊してしまった。あれほど多くの人を捌く交通網に対して畏怖の念を覚える。人間が造り出したものにしてはあまりに複雑で精巧すぎる。まるで生物みたいだ。結婚式というのはいいもので、披露宴で普通に泣きそうになった。なんかドキュメント72時間とか家ついて行ってイイですかを観たときのそれに近いというか、それのよりダイレクトなやつ。生きるって、俯瞰だとありふれたものに見えるんだけど*1、一つ一つは本当に濃いというか、天を見上げると数多星が瞬いてるけど、ズームするとあれは太陽の何百倍もでかい恒星だったりするわけで、なんかそういう凄みがある。帰省ラッシュのあの山のような人間の一人ひとりにドラマがあると思うと、気が狂いそうになる。

◆そんなこんなで帰ってきたところは世界の果てである。大都会から帰ってくるとそう思う。えらく静かだ。雨の音と猫の鳴き声しか聞こえない。ちょっと前は街宣車が通っていた。野良猫は相変わらず喧嘩している。縄張り争いなのか、なんなのかよくわからない。一週間前は感化されて結婚したいな、とか人寂しいなとか思っていたが今は割とどうでもよい。感情というのは空間に張り付くもので、このワンルームは孤独感を弾くようにできている。逆説的だが、孤独感は人の多い場所から生まれる。こんな静かな場所では寂しさを忘れてしまう。

◆腹が減ったが家から出られない。結局のところ問題は今日の雨で、傘がない。コンビニで買った安物のビニール傘は、この前の強風で折れてしまった。昼はレトルトのクリームパスタで乗り切ったが、夕はどうしようもない。出前館で出前を頼む。出前を頼める程度の世界の果て。ただの豚丼が1500円するようだ。出前とはそういうものなのだ。出前館でバイトした経験から言っても、まあ適正な対価だと思う。食い終わった頃に雨が止む。まあそういうものなのだ。

*1:だって何十億人もやってる行為だし