浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

もやしとエロと暴力のはなし

◆夏が終わったと思ったら終わってなかった。今日行った定食屋、ついてくる味噌汁に150円足すと豚汁になるってんで豚汁にしたんだけど、具の半分くらいもやしで悲しくなった。もやし汁じゃん。味噌汁にもやし入れると味が薄まるというか、そんな感じがして悲しい。味噌汁の具って宗教戦争が起きる話題っすよね。自分は油揚げと小松菜の味噌汁が好きです。油揚げと小松菜、どっちも冷凍保存できるから家で飲む味噌汁は基本これ。

◆少し寂しいのだけれど、背伸びをしなくなった。なんか意味ありげな難しい本を借りて読もうとする(で大抵挫折する)とか、そういうことをしなくなった。映画とか本とか漫画とかゲームとか、面白ければいいんだよと思う。で何が面白いんだろうって考えたとき、結局エロと暴力なんじゃないかなと思って。なんというか、思ってるよりも人間って単純な気がする。食いもんとかも、うまいこと塩と脂と炭水化物をミックスさせればあっさり中毒になってしまう。二郎系とか美味しいどうこうよりも、脳をハックされてる感じがする。

◆先週パルプフィクションを観たんだけど、こういうのでいいんだよ、こういうのでって感じの映画だった。かっこいい、かわいい人間がわちゃわちゃやって人殺したり殺されたりしたら楽しい。少なくとも俺はそうだった。俺はエロと暴力に弱いと思った。今日は邪神ちゃんドロップキックを観ている。これもエロと暴力のアニメだと思う。

◆エロと暴力に加えて、わかるのも面白い。最近見た二つの作品はどっちもパロディが豊富だ。パロディはわかる楽しさを誘起する最もシンプルな仕掛けだ。あまりにシンプルすぎて色んな作品で濫用されてる。あと、パルプフィクションが時系列をぐちゃぐちゃにしてるのは、「あの時のあの行動があれに繋がるのか」っていうわかりを発生させる装置なんだろう。ミステリの楽しさとかはわかりに集約されているかと思う。それと相反して、わからないのも面白い。コウメ太夫が面白いのも、わからないからだ。中途半端にわからないことはストレスになるが、全くもってわからないことは面白い。人間の頭は理解を求めてずっとぐるぐるしてるけど、わけわかんないことがインプットされると理解を放棄して頭が休まるので、癒しになる。中国の満員電車に乗ってるとき、周りが何喋ってるか全然わかんなくて逆に楽しくなってきた記憶がある。多分これがアメリカだとしんどいんだろうね。微妙にわからないから。