浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

爆竹、塩素、蝉時雨

◆昨日はそこかしこで爆竹が鳴っていた。久しぶりに常夜灯をつけて寝た。常夜灯の橙を見ると、真っ暗だと眠れなかった子供の頃を思い出す。幼い頃の一年は永遠だった。小学校1年生から2年生に進級したとき、この感じであと何十年も生きていくなんて、時間があり過ぎて気が狂うんじゃないかと思った記憶がある。幸いにも狂わずに生きている。時間が短くなってくれたので。友達がいなかったから、夏休みなんてのは精神と時の部屋みたいで地獄だった。あまりに暇だったから、計算ドリルと漢字ドリルは夏休みが始まってすぐの段階で終わらせていた。自由研究と作文と絵はギリギリまでやらなかったけれど。かといって別に家から出ることもなく、プールに行くこともなく、寝ぼけ眼でラジオ体操に参加していた。皆勤賞だった。ゲームが好きだったけれど、お年玉で買えるソフトの数は限られていた。物心ついたときから家にあるスーファミのソフトと、ポケモンを延々していた。ポケモンは一つしかセーブデータを保存できないから、仕方なくセーブデータを消して、何度もはじめからやり直す。ポケモンを捕まえることにも、強くすることにも興味はなかった。旅がしたかったのだと思う。自分を遠くに連れていってくれるものならなんでもよかった。

あれからほどなくして、インターネットと繋がるようになった。あのときから、退屈の質が確実に変わったように思う。インターネットはここではないどこかに連れて行ってくれる。それは物理的にはともかく、精神的にはさほど遠い場所ではないのかもしれない。でもいつもと違う場所に連れて行ってくれるのは間違いなくて、それに救われっぱなしの人生だ。けれど、遠くに行こうという意思の強さがないと、どんな魔法の道具を使っても遠いところには行けないのだ。それを近頃痛感している。