浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

かぼすドリンク

◆たぶん今ぐらいの年齢のときに、母は自分を産んだんだよな。だからといってどうということもないのだけれど。ただ時間が経ったなあという感じで、最近よくわからないままに休みが終わって、一ヶ月が終わって、一年が終わって。何した?って問われてもなんにもしてない気がして、昔のことばかり思い浮かんできて、馬頭琴とか昔よく行ってたスーパーで買ってたヤンヤンつけボーとか、5%の消費税とか、旅先で買ってもらったかぼすドリンクが美味しかったこととか、練習試合で3Pシュートが決まって気持ちよくて脳が痺れたこととか、初恋とか。別に何もしてないこともないんだ。でも十年二十年経ったときに、友人の結婚式とかコロッセオとかを思い出すよりは、かぼすドリンクのことを思い出すんじゃないかなという気もする。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう

◆髪を切った。いつもの美容室で切った。店長は荒木飛呂彦みたいな胡散臭い顔をしている。荒木飛呂彦みたいなので、年齢がよくわからない。お気に入りの美容室というわけでもないが、結局一年近くそこに通っている。気に入らないままずっとそこに通い続けるのだろう。帰りに図書館に寄る。人が多い。確かにこの暑さだと外でなにかする気にもなれないか。なんか今日は目が滑る日なので退散。プロ野球を最初から最後までじっくりと観る。ソフトバンクホークスを贔屓にしているのだが、目下大型連敗中だ。こんだけ負け続けるのは南海ホークスまで遡るらしいので、逆に観たほうがいいなと思ったのだ。勝ったら嬉しいし、負けたにしても珍しいものを観れることになる。結果としてはサヨナラ負けだった。酔っ払いの喧嘩みたいな試合内容だった。お互いヨロヨロして隙はたくさんあるのに、酔っ払ってるからお互いなかなか止めを刺せない。全体の内容は酔っ払いの喧嘩でも、やってる選手は真剣そのもので、気迫のヘッスラあり、美しいホームランあり、芸術的なセーフティバントもあり、ファインプレーも多い試合だった。明日は令和の怪物とのマッチアップなのでもう一つ連敗記録が伸びそうな気がする。でも逆に勝っちゃうかもしれない。いくら調子が悪いとはいえ、ここまで負け続けること自体そこそこおかしなことなので、佐々木朗希に土をつけるという珍事が起きるかもしれない。

もんだいなし。

◆当然と言わんばかりに雨が降り続けている。お昼に来客があった。宗教の勧誘だった。築半世紀過ぎた、NHKすら来ない我がボロアパートによくぞ来た、となんだか嬉しさすらあった。パンフには辛抱強い人になりましょう、と書かれてあった。こんな雨の中やってきた彼女は辛抱強い人に相違ない。俺は辛抱強い人だろうか、どうだろう。そうじゃないような気はする。大学も中退しているし、バイトも3日で辞めたりしたし。でも主観的にはわりとようやっとるというか、まあ割と辛抱強くやってるつもりだ。最近飛行機に乗った。飛行機が少し苦手で、というのも飛行機に乗るたびに墜落死を想像してしまうからだ。メメントモリなんて言葉にすれば簡単だが、実際はつらい。やろうと思ってできることではない。ピコ太郎が歌うように、Everyone must dieなのだ。小島よしおのなんの意味もないってギャグも好きで、一発屋は一発当てると悟りを開くのかもしれない。ナンセンスギャグってジャンルがあるけど、無意味なことは面白いものだ。一方で無意味さをシリアスに捉えるとしんどかったりもする。無意味って不思議だ。インターネットでマンガを読む。とくにある日々というマンガを公開分全部読んだ。いいなあ。

豚汁は世界を救う

豚汁ぶたじるは世界を救うのだ。少なくとも豚汁は俺を救っている。唯我論的には俺なしの世界など存在し得ないので豚汁は世界を救うことになる。さて、如何にして豚汁は俺を救うのか。豚汁は俺に野菜を摂取する機会を与えてくれる。野菜は高い。特に外で食べようとすると、肉より高いこともある。そうなると、いつの間にか食事から野菜が消えてしまう。由々しき事態だ。野菜は好きだが、残念ながら肉のほうが好きなのだ。それで肉のほうが安いなら出番が減るのも仕方ない。それ以上に嬉しいのは、献立を考えずに済む点だ。自炊において、最も面倒なことは献立を考えることである。豚汁を作る。すると豚汁が一汁であり一菜になる。これに納豆でもつければ立派な夕食になる。豚汁は畢竟具だくさんのみそ汁であるから、そうそう飽きることもない。豚汁は自由だ。具材には何を入れても許される。個人的には汁が甘くなる具材、例えば玉ねぎとかキャベツとかは入れないけれど、別にそれも入れていいし、入れたらそれはそれで美味しいことも知っている。今晩の豚汁は大根、人参、ごぼう、油揚げ。オーソドックスですな(桂米朝)。

6月1日の日記

2013年6月1日

本が読みたい。今日は雨降り。マンガ読んだりdビデオのコンテンツを見たり。一年というのはやはり長いかもしれない。昔の人は平均寿命が今よりも断然短いようで。今の人間も昔の人間も共通した考えを持っていたのかもしれない。ちょっとした感傷と感動とともに生きていくのだろうな。これで2013年の下半期(あと一ヶ月で)。一応授業ということで縛られてはいるけども考えること、思うこと、聴くことに関しては縛られていないので楽だ。

2014年6月1日

もう6月です。嬉しいやら悲しいやら。線形代数を甘いもの齧りながら進めたりして7時、8時ごろに寝る。それから12時からカラオケ大会。幅広い歌を歌えたと思う。スイパラにて夕食。スイーツ以外に食べるものがあり良かった。たらふく食べた。忙しさと退屈とはいったいなんであろうか。資料委員会の仕事が思いの外長引き、10時から1時までなんかしらしていた。自分の仕事の出来なさを情けなく覚える。おそらく反省をしないのが悪い原因だ。

2015年6月1日

部屋の模様替えをする。二段ベッドを分離するという発想。前にも増して広い部屋になった。蚊が目立つ。Xperiaが今さら見つかる。どう使おう。というかきちんと探しておけば今頃新しいやつを使わずに済んだのかも。まだ微妙に改善の余地はあると思われる。一応4限は出たもののという感じ。万年筆のインクは明日買う予定。コンバーターと共にインク注入しようかと思う。

2016年6月1日

授業途中で面倒臭くて帰った。一応座るだけ座っとこうと思ったが内容という内容が全て素通りしていた。で自分に負ける。なんだか不愉快である。ここ数日は涼しいみたい。心地良い気候。無気力はなくなりつつあるが怒りのようなものが湧いてきている。しかも身体は動かない。豚肉となすのみそ炒めとじゃがいもと玉ねぎのみそ汁作って、洗濯も終わらせた。まあまあ働いた気もする。32Gの記憶媒体が指先に乗るサイズで1000円代ってすごい。

2017年6月1日

Civ再開するもどんどんグダグダになっていくというか。文化勝利目指すにしては色々中途半端すぎたかなあという感じ。軍事をどのようにやっていけば良いかよく分からない。夜に、最大瞬間風速の不安が来た。不安は極まると涙が出そうになるのだな。2倍量のスルピリドが効いたのか、ひたすら歩くのが効いたのかは分からないが、今のところ落ち着いている。結局はゆっくりやっていくしかないのだ。生活リズムなどうまくいっていることもある。

2018年6月1日

郵便局とか銀行まわって願書を提出したりカラオケに行ったりするなど。◯大の過去問解いたりしたがなかなかしょうもない問題だった。質、量、難度ともにムラがある。多少解けなくても一喜一憂しないのが大事かもしれない。カラオケだけは調子が良かったような気がするが他の調子はよくない。いや別に前のように精神的にきついわけではないのだけれど。まあそういう日もあるかもしれない。

2019年6月1日

自習がてら〇〇キャンパスの図書館に行く。良い。〇〇キャンパスと違って文化が存在している。まあもうちょっと粘っても良かったか。金曜は今度からここ行こう。土曜日でも良いが。数学、単純に勉強時間が短い気がしてきた。〇〇キャンパス、昼めしも潤沢だし来週も行くぞ。休日はかなり人少なかったが平日はどうなのか。まあとにかく行ってみるしかないな。スマブラをやりました。いや、やってないか。

2020年6月1日

6月に入る。あつ森で季節が変わりつつある。外出する機会が減ると日々の移り変わりを実感できなくなる。それはともかくとしてやる気が地に墜ちている。久々にふて寝ムーブをかます。で夜中に目が覚める。1週間ほど塗り薬を塗るのをやめてみようと思う。なんとなく。ゼミはまあ粛々とやるしかないな。週1だからまあ別に良いかという気分になる。就活の弾を増やさねば。なんだか内定出ないのに逆にホッとしている感はある。

2021年6月1日

そんなに面白くない文章書いてたら一日が終わっていた。うーむ。野球断ちすることを決心した。要するにしたいことがないからダラダラなんJとか野球ニュースとか見るのだ。楽しく野球を観れるようになるといいな。帰り道はそこそこ禁断症状があったがやることあるとなんとかなるな。このまま2週間ほど続けばよい。交流戦終わるまでか。

2022年6月1日

早めに帰ったでござる。仕事もある程度メドがついた。最近疲れる感じだが残業多いからそりゃ疲れるわな。あまり美味しくない豚汁を飲む。まあとりあえず日曜日にスープ作っておけばそれなりに野菜がとれて良い感じになる。頑張っていきたい。なんというか体力の衰えを感じるので今のうちにやれることをやっておきたい。若さを失ったらなにもない。

2023年6月1日

ふええ。尻から血が出るよお。なんというか、マッチングアプリはホント悪魔の発明だなと今日やってみて思った。人間性を捨て去らないと駄目だ。まあ自分の偏見というかそういうものを可視化するツールとしては有用だと思う。うむ。なんつーか自分の武器が全く通用しない場ではあるよな。うーん。勝ち目がない。人間観察の修行と思ってもう少し続ける。

世界の果てで出前を頼む

◆友人が結婚するということで、GWは大都会へ結婚式に行ってきた。大都会はまったくもって大都会であって、あまりの人の多さに疲弊してしまった。あれほど多くの人を捌く交通網に対して畏怖の念を覚える。人間が造り出したものにしてはあまりに複雑で精巧すぎる。まるで生物みたいだ。結婚式というのはいいもので、披露宴で普通に泣きそうになった。なんかドキュメント72時間とか家ついて行ってイイですかを観たときのそれに近いというか、それのよりダイレクトなやつ。生きるって、俯瞰だとありふれたものに見えるんだけど*1、一つ一つは本当に濃いというか、天を見上げると数多星が瞬いてるけど、ズームするとあれは太陽の何百倍もでかい恒星だったりするわけで、なんかそういう凄みがある。帰省ラッシュのあの山のような人間の一人ひとりにドラマがあると思うと、気が狂いそうになる。

◆そんなこんなで帰ってきたところは世界の果てである。大都会から帰ってくるとそう思う。えらく静かだ。雨の音と猫の鳴き声しか聞こえない。ちょっと前は街宣車が通っていた。野良猫は相変わらず喧嘩している。縄張り争いなのか、なんなのかよくわからない。一週間前は感化されて結婚したいな、とか人寂しいなとか思っていたが今は割とどうでもよい。感情というのは空間に張り付くもので、このワンルームは孤独感を弾くようにできている。逆説的だが、孤独感は人の多い場所から生まれる。こんな静かな場所では寂しさを忘れてしまう。

◆腹が減ったが家から出られない。結局のところ問題は今日の雨で、傘がない。コンビニで買った安物のビニール傘は、この前の強風で折れてしまった。昼はレトルトのクリームパスタで乗り切ったが、夕はどうしようもない。出前館で出前を頼む。出前を頼める程度の世界の果て。ただの豚丼が1500円するようだ。出前とはそういうものなのだ。出前館でバイトした経験から言っても、まあ適正な対価だと思う。食い終わった頃に雨が止む。まあそういうものなのだ。

*1:だって何十億人もやってる行為だし

魔女がやってるカレー屋

◆最近弊社の近くにカレー屋がオープンした。多分ほとんどの人が気づいていないんじゃないかと思う。少なくともグーグルマップは気づいていなかった。花輪を飾るとまではいかずとも、開店したら開店したなりのアピールをするものなのに、そういうのは一切なく、ずっと前からありましたよ、というような雰囲気で佇んでいる。そいつは雑居ビルの奥まったところにあって、入り口に辛うじて看板がある。その看板から読み取れるのは、カレーの写真と、Japanese Yen Onlyの文字のみ。どんなカレーを出してるのか、値段はどのくらいかもわからない。行くしかない。

◆行った。おばあちゃんとおばちゃんの中間みたいな方がワンオペで切り盛りしていたが、別に自分一人しか居ないので余裕だった。自分のカレーをサーブしたあとは、一心にカレーの大鍋を混ぜていた。まさに魔女だった。あまりの商売っ気のなさから、味に関しては全く期待していなかったのだが、正直想定より美味しかった。少し辛めの、食べたことのないのに食べたことのあるような、なんかそんな感じのカレー。ただ値段も想定より高く、リピートしたくなる感じでもない。そもそもリピートするほどお店が続くのだろうか。次行ったら幻のように消えているような気がしてならない。というか今日の出来事が幻かもしれない。カレー屋なんて実際は存在していなくて、カレーが食べたい自分が作り出した虚像に過ぎないのかもしれない。帰り際スタンプカードをもらった。7回食べるとカレーが一杯無料になるようだ。スタンプカードが埋まるときは果たして来るのだろうか。貰ったスタンプカードが次の日木の葉になってたりしないだろうか。