浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

断片023

◆社会において無能力な人間だと感じる機会が増えたので、少しでも武器になればと、プログラミングの勉強を始めた。IT業界は比較的労働形態の幅も広く、転職もデメリットにはなりにくいしで、飽きっぽい自分に合っているような気がしないでもない。寝る前にプログラミングをやると、目が冴えて全く眠れなくなるのでよくないので、寝る前にはやらないことにしている。吐き出すエラーに対してああでもないこうでもないと試行錯誤していると、ほんとにびっくりするくらい目が冴える。


◆テレビがついてる食堂とかラーメン屋があまり好きじゃない。大勢が見るものだから仕方がないが、こういう場所で流れる番組は決まって最大公約数的で、昼行ったらだいたいワイドショーやっている。俺はニュースが苦手で、それはニュースを見て嫌な気持ちになることはよくあるが、幸福な気持ちになることはほとんどないからだ。ニュースというものは基本的にめずらしい情報を伝えるものだ。『すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。』とトルストイは書いたが、それを踏まえると幸福は代わり映えしないものなので、ニュースとしての価値はゼロに等しいのだろう。そんなわけでテレビのあるめし屋は苦手なのだが、この前行ったインドカレー屋はEテレの高校講座を流していたので好き。電気分解の授業を聞き流しながら食うカレーは最高でした。

断片022(野球)

◆あんま野球に興味ない系の人間だけど、今年は野球中継をよく見ている。というか、弟が見ているのでつられて見るようになった。テレビ中継で得る以上の知識はなく、未だにどのポジションがどこを守っているかもわからないし、球種の区別もつかないけれど、にわかなりに楽しめるようにはなってきた。土地柄的にソフトバンクの試合ばっかりやっているし、それなりにソフトバンクの選手もわかってきたので、なんとなくソフトバンクを応援してる。けれど、ソフトバンクを応援するのも結構複雑で、金持ってて強いチームって、完全にヒールというか、あんまり応援しがいがない。西武がCS敗退したときの、辻監督の表情とか見ると、いや今年は西武がCS進んだほうが良かったのでは、とか思ってしまう。もしソフトバンクが勝ったところで、昨年日本一になったんだから今年も日本一にならなくてもいいのでは、広島が日本一になったほうが絶対盛り上がっただろう、と思うだろうし、かといって負けてしまうとそれはそれでつらい。どっちに転んでも幸福になれない。そういうことはあれど、これからもソフトバンクをなんとなく応援し続けるのだろう。ソフトバンクは守備がうまい人が多いのが楽しい。失策数もリーグ最少らしいし、守備で魅せるプレーも多い。捕りづらそうな球もみんなけっこう捕る。今日の試合でも出たけど、甲斐&高谷の盗塁阻止は痺れる。かっこいいプレイが出るのは基本守備なので、やっぱそこが強いチームの試合は見るの楽しい。反面打撃はよくわからない。多分球種とかがよくわかってないから打つ方のすごさみたいなのが伝わってこないんだと思う。中継を見る限りでは、打者の選球眼みたいなのは他のチームより無さげで、みんな来たボールとりあえず振る感じが素人目に感じられる。上林とか松田とかデスパイネとか、とにかく振る。柳田とかも来たボールとりあえず振るような雰囲気なのに、なんであんな打率高いんだ。なんか打撃はみんな技より力でゴリ押ししている感があるが、実際どうなんだ。ようわからん。


◆今日の試合、良かった。今シーズンのソフトバンクは強力な打撃陣と微妙な投手陣、そしてそれに輪をかけて強力な打撃陣と微妙な投手陣を擁する西武の存在もあり、全体的に大味な試合ばかりで、特にCSは大味っぷりが如実に現れていた。なんかそういう試合に慣れていたので、今日のヒリヒリした試合ほんといいなーと思った。

◆まあ野球中継は時間泥棒っすな。今日ほど長引かないにしろ平気で3時間くらいもっていかれるし、わりと暇なはずなのにこのところ可処分時間が短いように思われる。

断片021

◆シャッフル再生で音楽を聴いていると、ブルーハーツの「青空」が流れてきた。名曲だ。名曲には相違ないが、この曲を知ったのは小学校の卒業式で歌わされたからで、ブルーハーツの作家性を鑑みると最悪に近い出会い方だと今は思う*1。小学校、中学校を振り返ると、尾崎豊が好きで、ちょっとしたイベントでシェリーを歌う教諭も居た。好きなこと自体はなんら問題ないし、俺だってブルーハーツ尾崎豊も好きではあるんだけど、それが好きなことを教諭という立場で表明するのは醜悪だ。社会への反抗というテーマを、体制側が賛美する。そのダブルバインド的な状況を俺達は甘受しなければならなかった。


◆思い出しついで。中学の頃、自分の好きな歌を紹介しましょう、紹介文をプリントに書きましょうみたいな音楽の授業があった。何が悲しくて学校の授業なんかで自分の好きな歌を紹介しなくちゃいけないんだ、年頃の人間にとって好きな歌は、好きな異性まではいかなくとも、それに準ずるプライベートな事柄だろうに。自分の好きな歌なんて書くつもりもなかったから、適当に校歌と書いて出した。それを見た音楽教諭が、俺のことを中学生にもなって好きな歌もない、感受性の欠落した人間を見るような目をしたので*2、感受性が欠落しているのはテメーのほうだ、と思った。

*1:数あるブルーハーツの曲の中で青空を選んだのは、先生という立場からは正解とは思う

*2:大概な被害妄想ではあると思う

断片020

◆俺はゲラなんでどうでもいいことで割と笑ってしまう。弟も俺に似てゲラで、スマホ見ながらしょっちゅう爆笑してる。笑うのはいいが、なぜ笑っているのかがわからないのは気持ち悪いというか、不愉快なものがある。寮に居た頃、スマホ2chまとめとか見て声出して笑うと、そのたびに同部屋の後輩がなに見て笑っているのかを問いただしてきた。そして俺が2chのおもしろページを見せると、きまって「そこまで爆笑するほどではない」と言うのだった。今なら後輩の気持ちもわからなくはない。申し訳ないことをしてしまったと思う。


◆思い出しついでだが、その後輩は入寮してすぐの頃、坂口安吾が好きと言っていた。一応堕落論くらいは読んでいたけど、正直その頃はちんぷんかんぷんだったな。なまじ内容だけは知っているものだから、なんか思いつきで適当なことを言った記憶があり、今思うと恥ずかしい。少し前堕落論を読み返したのだけれど、すごい、何を言っているかめちゃくちゃわかる。『人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる』。寮に居た頃は堕落する最中だったから、わからなかったのかもしれない。あの頃はあらゆるものが無意味に思え、昼夜逆転に陥り、大学もろくに行かず、ネットばかりしていた。安吾の言う堕落は、消極的ニヒリズムに襲われ、無力感に身を委ねている状態、と言い換えるとわかりやすくなる*1。その頃はその無力感が全てだったので、理解できなかったが、今ならわかる。たしかに俺は、堕ちぬくことはできなかった。少し前からバイトも始めたし、プログラミングの勉強も始めた。研究職、あるいはプログラマでもいいが、裁量があり、論理の世界に没入できるような仕事をしたいという、将来の目標のようなものもできた。数年前の自分からすれば考えられないが、生きる意義のようなものを拵えてしまった。とりあえず今はこの目標に向かって進んでいきたい。また堕ちる日まで。

*1:少なくとも俺にとっては

断片019

◆今朝に見た夢が重かった。バイト先で無能と詰られる夢と、小学校の時の同級生に告白される夢。まずバイトの夢から。バイト先には、ちょうど自分と同じ時期に入った同年代のバイトが居るんだけど、シフトの関係上一緒に仕事をしたことがない。そいつとたまたま同じシフトに入るが、教えてもらってる仕事の内容とかも自分のはるか先を行っていて、俺よりはるかにテキパキしてる。まごまごしている俺に対しそいつは呆れ、文句を言う。「ちゃんとやれよ」、と。俺はちゃんとやろうとする。が、ちゃんとやろうとしてちゃんとやれるならこの世に罪なんてものは存在しないし、イヴもりんごを食ってねえ。かくして、初対面の日に同期のバイトに見放されるのだ。実際シフトが違う同期のバイトは居るし、俺が仕事できないのも事実だし、なんだこのリアリティ。つづいて、告白される夢。普通なら、楽しい夢になるような気がするが、夢の中でも妙に自己肯定感のない自分は、まず罰ゲームで言わされたという線を疑う。そうでないとわかっても、なお疑心暗鬼に陥る。この人は妄想力、あるいは恋の魔法というやつで、俺のことを理想化してしまっているというか、別人に仕立て上げているに違いない。だって、そう考えないと俺が好かれるはずがない。しかし、このチャンスを逃すと一生付き合えないかもしれない。それを断ってしまうのか? でも、ここでOKしたとしても、魔法が解けてしまったら俺は振られるだろう。もしそうなら、今のうちに断ったほうが良いのではないか。そんな感じで葛藤が続き、バイトの夢以上に精神的に疲弊してしまうのであった。妙に現実的なバイトの夢に比べれば、夢らしいとはいえるが、夢の中でくらい夢を見させてくれよ。起きたときには、もうすでに一日が終わったかのような疲労感でいっぱいだった。


◆そんな感じでヘトヘトだったんで夕方に軽く仮眠をとったんですけど、今度はなんか知らない人に「オマエの文章は下手くそで何を言っているか全くわからない、そんなんで小説を書こうと思っている*1のか、笑わせるな」と詰られる夢を見たので、もうこれはブログに書くしかないなと思って書きました。

*1:割とマジで書こうと思ってはいる。なんか人生なんだかなー感がこの数年強く、そのなんだかなー感を昇華させる手段が創作くらいしか思いつかない。で、まあ文章書くのが一番自分にとって手が届きそうだな、という甘い考え。

断片018

◆中学生のとき、体育の持久走の時間が死ぬほど嫌いで、きついなーと思いながら適当に走ってたのだけれど、あるときふとやる気が出て、頑張って走ってみたらいつもよりずっと楽だった、という出来事があり、妙に印象に残っている。これを人生の比喩と考えるのは少々乱暴かもしれないが、結局頑張ったほうが実は楽、というパターンはあるのかな、と思ったりする。この前医者の卵と化した中学時代の友人に久々に会って、その思いを新たにした。医者の道に進むって、そりゃ大変だろうと思うけど、逆に楽かもしんないな。楽に生きるというコンセプトでやってきた自分はといえば、極力なにもしない生活をこの数年続けてきたのだけれど、なにもしないって思っていたのと違ってしんどいし*1、なにもしないことで人と会わなくなるし*2、なにもしなかったあまりに大学も留年するし*3、もしかして、楽に生きるほうがしんどくないですか。俺のコンセプト間違ってた?


◆わかりやすい文章を書く際のアドバイスとして、「一文を短く」というのはよく言われることであり、実際文章を書くときには一応気にしてはいるのだが、一文を縮めるのは意外と時間が掛かるし、なんかどうでもよくなってきた。ブログくらいは一文長くたっていいか。いや、難解な内容なら一文長いとしんどいけど、個人の日記レベルなら別に気にするようなものじゃないと思われる。

*1:人間は退屈が苦手なことがおおい

*2:人間は孤独が苦手なことがおおい

*3:人間は肩書で人を判断することがおおい

写真

◆俺は、景色に対する執着というか、記憶が結構強いほうだと思う。色んな場所の記憶が、スナップショットのように鮮明に残っていて、ぼーっとしているときとか寝る前とかに、唐突に、結構な強度で襲いかかってくるのだ。自宅に居ながらにして、ショッピングモールやら小学校やら銭湯やら国道にプチトリップするわけだから、楽しくて仕方がない。もし写真を撮っていたら、その鮮明さは尚更に増すだろうと考えて、3年ほど前、大枚はたいてGRという高級コンデジを買った。どうせ一眼レフなぞ買ったところで無精な自分は持ち歩かないだろうと思って、あえてコンデジにしたのだ。その選択は正解だったと思う。ただ、まさかカメラを構えるのすら嫌がるほどの無精だとは思ってなかった。道端とか散歩してて、あ、なんとなくこれいいな! と思っても、持ってるカメラを出すのが面倒で、だいたいスルーしてしまう。まして、うまく撮ろうという意識の高さも存在しない。未だに構図とか、ピントが合わせ方とかよくわからないが、調べる気もない。こんなんだからカメラの腕も全く上達しない。視覚的記憶に執着がある*1からといって、それが写真趣味に繋がるわけではないのかも。


◆なんか長々と書いてしまったけど、暇に任せて今年撮った写真を見返してたので、何枚か良さげなやつをこの場に上げようと思っただけです。


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*1:これも自分がそう思っているだけで、実際どうだかわからない