浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

断片009

◆この前昼ごはんにうどんを食いに行ったのだけれど、いつもそれなりに多いはずの場所なのにガラガラでびっくりした。ちょうど桜が満開だったから、みんな弁当でも買って公園で桜を見ながら食べてたのだろう、と推理したが、それにしてもガラガラだった。桜の力恐るべし。多分他の店も商売上がったりだったんだろう。代わりに弁当屋とコンビニは稼ぎ時だったろうなあ。個人的には桜は嫌いで、というのも桜が咲く時期にいい思い出がないからだ。桜が咲く時期は、人間関係や環境がガラリと変わってしまうことが多い。環境の変化は自分のような人間にとってはそれなりの負担で、しばらくのあいだ不安と憂鬱と高揚とがないまぜになったような気分に陥る。環境が変化しない年も、条件反射で桜を見ると心がざわざわしてしまう。逆に自分が好きなのは金木犀。生活にも慣れてきて涼しくなった頃、控えめな見た目とそれなりに強烈な香りで金木犀が主張しだすと、なんとなくホッとする。

断片008

◆生の無意味さというと大げさだけど、なんか色々空しくなるようなことがあったとき、視点をミクロにもっていくよう意識している。日常が無意味に感じられるのは、きまって日常を俯瞰して見ているときで、高いところから見れば、日常は穴を掘ってそれをまた埋めるような繰り返しでしかない、と思ってしまう。けれど、微視的な見方をすれば、掘る穴の深さも形状も、土の硬さも毎回微妙に違っていて、そういうところに面白みを感じることもできちゃったりもする。

断片007

◆このごろゲームをやっている。Switchのゼルダ。ブレスオブザワイルド。弟が買ってきたやつをやらせてもらっている形。自由度が高いゲームなので、同じゲームをプレイしてるのに話が噛み合わないことも多い。自分はメインのストーリーを丁寧に追っていくのだけれど、弟はストーリーそっちのけで探索しまくっている。この数年レトロゲームとかSteamのインディーゲーばっかやっていたので、いわゆる超大作のゲームは久しぶりだ。やっぱ超大作ならではの圧みたいなのを感じる。ってかマップ広すぎる。どうなってんだ。どれだけのリソースを割いたらこうなっちゃうんだ。

◆この前自転車で派手にコケて数針縫う怪我をしちゃったのだけれど、なんというか思っていたより辛くない。そりゃ痛かったのだけれど、内臓系とか精神系の痛みに比べて不快感がないというか、むしろ爽やかさすら感じさせる痛みだよなあ、とか整形外科のベッドに横たわり、麻酔を受けながら考えていた。筋肉痛とかもそうだよな。痛いは痛いけど、気持ちよさすら感じる痛み。

断片006、あるいは面白さについて

◆ブログ、書こうと思っているが続かない。あまりに続かないので、自分にルールを課してみる。

  • 面白いことを書こうとしない
  • 頑張って書こうとしない
  • 上の2つのルールを必ずしも守らなくてよい

とりあえずこの3つ。最初のルールは、まず自分の書くハードルを下げるために重要である。そして、ブログという媒体では、面白いことを書こうとしないことが、かえって面白さにつながることが多々ある、と思うのだ。これだけじゃ何が言いたいかわからないと思うので以下で説明するが、そもそも面白さってなんだろうか。面白いことの条件ってなんぞや? 加算無限個の切り口がある問題だが、自分なりの回答をするならば、文脈の変更を迫るものこそが面白いものであると思う。ミステリのネタばらし、お笑いのコント(アンジャッシュとかがわかりやすい)、例はなんでもいいけれど、今まで自明視していたものが、なんらかの形でずらされるような体験は、面白さの本質の一つであるように思うのだ。つまり、面白いものを創り出すには、なんらかの形で文脈をずらしてやればいいのだが、これがけっこう難しい。ってか、それができりゃ苦労はしない。けれど、ブログという媒体は、過去の蓄積がある。そして、過去の蓄積から読み手は書き手の人物像を想像する。人間の想像力には限界があるので、新しく文章が更新された場合、自分の描いていた人物像と齟齬をきたす場合がある。過去の文章(から思い浮かべる書き手の人物像)がある限り、わざわざ書き手が文脈をずらさずとも、読者は絶えず文脈を更新され続けるのだ。長々と書いてきたけど、人が連続して語る行為そのものに面白さが現れるので、文章自体が面白いものである必要はない、ということです。もっと言うと、ブログとかYoutuberとかはその形式そのものに面白さが既に埋め込まれてるってことです。あとの2つのルールについては特に説明しない。いや、頑張って書こうとしないってルール決めたばっかりだし。

◆イヤホンが壊れたのでSE215を買った。自分はイヤホンを音の鳴る耳栓くらいにしか考えてないので、遮音性能が高いのが最重要で、音質は割とどうでもいい。音質はどうでもいいのに、1万円近いイヤホンを買ってしまった。どう考えても贅沢である。今まではウォークマンノイズキャンセリングイヤホンを使っていたが、ノイズキャンセリング機能がついているために、端子の形状が普通のイヤホンと異なっていて、ウォークマンやエクスペリア以外ではまともに機能しないのがネックだった。このSE215ではそんなことはなく、遮音性能は抜群でまあ買ってよかった。リケーブルができるというのも大きい。

断片005

◆生きるのが辛くなったら味噌汁をつくろう。味噌汁もつくれないほど辛いときもあるけれど、そうでないなら味噌汁をつくろう。なにもかもうまくいかないときは、美味しいものを食べるのがよい。けれど、外に出て食べるのも億劫だし、なにか凝ったものを自炊する気になんてなれない。かといって、コンビニ弁当や冷凍食品で済ませるのはさみしい。そんなときに、味噌汁をつくるのだ。味噌汁は裏切らない。きちんと出汁をとって、味噌を溶いてやれば、必ず美味しい味噌汁が出来上がる。面倒なら具材を入れる必要もない。少し気力があるなら豆腐を切って入れればよい。美味しい味噌汁があるなら、あとは白米と質素なおかず*1を足すだけで、悪くない食卓となる。

*1:納豆でもいいし、たまごかけごはんでもいい。ちりめんじゃこに醤油を足したものなんかもいい

断片004

◆あんまり具体的なことを書く気分じゃないのでぼんやりとした表現になるが、現実がこのところうまくいっていなかった。なので、うまくいかないことをとりあえず断念して少し休むことにした。しばらくは休むことに専念していたが、ようやっと元気が出てきたように思う。元気が出てきた副作用だろう、なにかなさねばとという焦燥感に襲われることが増えた。その焦燥感の解消のためにも、しばらくブログでも書いてみるか。