浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

ぶら下げられた人参について

 欲しいけれどなかなか手に入らないものというのは、手にした瞬間に色褪せてしまうことがある。この感覚を最初に自覚したのは中学生の頃だったように思う。1年待って、お年玉をはたいてニンテンドーDSを買ったが、いざ手に入れると、喜びでなく一抹の虚しさのようなものを覚えた。ソフトはなんにしようかな、何色がいいかななどと頭を悩ませている瞬間こそが最も幸福だったのだ。

 そういったことを繰り返しているうちに、なんだか欲しいはずのものを純粋に欲しいと思うことができなくなってしまった。今までの自分は、美味そうな人参がそこにぶら下げられていたからこそ、なんとか前に進もうという意思が生まれていた。あの人参は実は美味しくないのでは、と疑念が頭をもたげてくると、なんというかどうしようもない。ぶら下がるに値するような、美味しいと信じられるような人参を必要としている。