浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

紙の日記と電脳日記について

 ここ数年、紙の日記をつけている。たまに忘れることもあるが、基本的には毎日、行末までびっしりと書いている。書く内容についても特に思い悩むことはない。頭に浮かぶ適当な思いつきをそのまま書きなぐる。書く、という作業そのものが楽しいのだ。

 翻って、ウェブの日記である。ブログは、続かない。続いた試しがない。他人が見るものである以上、自分の伝えたいことをうまく伝えたい。文章の構成や文体だって最低限気を遣いたい。これらの思いは、継続的なブログ更新を目指す上では、重荷となってしまう。時間を掛けて長文を書いてまで、わざわざ他人に伝えたいことなんて、そう思い浮かぶものでもないのだ。よしんば思いついたところで、それをうまく言語化するのには大抵困難を伴う。文才の欠けた自分には、他人が読みやすいと感じるような文章を書くハードルだってそもそも高い。

 自分にとって、ブログを書くことは、紙の日記に比べると辛く、労力を要する作業なのだ*1。それだけに、うまく書けたときの快感はひとしおなのだが。*2

*1:もしかすると、手書きとキーボードという差があるかもしれない。自分の手で文字を書くのは創造的で楽しい作業だが、キーボードを叩くのはそれに比べると遥かにつまらない(と感じる)。高級キーボードでも買うと少しは変わるのだろうか

*2:こんなさほど長くもないブログですらこうなのだから、小説なんか書く人ってどれほど辛いんだろうか(そしてうまく書けたときは気持ちいいのだろうか